幸せの認知の仕方には、「相対的幸福認識」と「絶対的幸福認識」とがあると言われます。
「相対的幸福認識」とは、比較対象の存在によって自分の幸不幸を認知するという認識の仕方です。
比較対象は、他人であったり過去の自分ということになります。
投資においては、結果は数字として出せますので、比較対象には事欠きません。
SNSを回遊していると、「年初来+○○%」「今日は□千万円儲かった」などといったコメントを、嫌でも目にすることになります。
調子の良い一部の方々だけが積極的に発信しているわけですし、ほとんどの状況において、その中の誰かは自分より良好なパフォーマンスを叩き出しているはずで、不幸に感じさせる材料にあふれているとも言えます。
また、日々資産の記録を付けていれば、過去の自分の資産とも比較することになります。
これもまた、あまり気にし過ぎると不幸に感じさせる材料となりかねません。
そんなこともあって、私は数字としてパフォーマンスを計算しないようにしていましたし、いつからかは忘れてしまいましたが、日々の増減についても口にしないようにしました(たとえ物凄く増えたとしても)。
それは「相対的幸福認識」の枠組みから、自分の意識を遠ざけるためです。
もちろん資産が増えているのを確認するのは幸せに感じますが、日々穏やかに過ごすために、不幸を認識しかねない機会を減らすことをより意識したかったのです。
一方の「絶対的幸福認識」とは、「今、この時」の自分のみで幸不幸を認知するという認識の仕方です。
では、投資において満ち足りていると感じ、幸せを認知できるのは、どんな状況でしょうか。
私の場合は「良いポートフォリオを組めていると実感できる時」が、それに当たるかと思います。
高いレベルでの価値創造をこれからも続けられることが想定でき、保有しているだけで幸せに感じる企業ばかりで構成されているポートフォリオ。
これを一つの理想形とし、「絶対的幸福」を追い求めていきたいです。



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コメント
みんなより多くのお金が欲しくて株を買ってていますが自分の場合は株が欲しくて株を買っていますので幸福感はあります。
企業を部分的に所有できることに幸せを感じることができるといいですよね。
なるほどそうですね。メンタル的に楽で落ち着いた状態で投資を継続していきたいものです。イライラしたり追い込まれたりしていると、ろくでもない判断とか売買につながりかねませんし。
以前に同じようなことを書いていたなぁと思ってしらべてみたら下記が近いかなと思いました。
https://fusiminohikaru.net/archives/36993
人が儲かった話は、いわば、他人の宝くじが当たったという話に近いです。いいなーとは思うけど、そんなことはできもしないし、そもそもしようとも思わないので、本気でそれがうらやましく思ったりすることはないです。株の場合は他人の事例でまれに銘柄選択とか売買判断で「なるほど!」と思うこともありますが、まれです。
自分の記録は毎日、毎週つけてはいますが、企業業績等の見方と同様に外部要因と内部要因は区別して考えるように意識しています。常にマーケットリスクをとって株は保有しているので、そこの上げ下げは当然でかつ自分ではコントロールできません。そこでイライラするのは意味がない。それより自分で決められる銘柄選択なり売買判断、そこの善し悪しなりスタンスを考える方が有益で意味があると思っています。
自分でコントロールできることに対して意識を傾けたいですね。
>「相対的幸福認識」の枠組みから、自分の意識を遠ざけるため
とてもいい記事ですね。
私もなるべく他の人の投資成果を気にしないようにしようと思いました。
そしてろくすけカブスのような強力なポートフォリオを作れるように頑張ります。
励みになるご感想をありがとうございます。