携帯電話のスクリーンにかじりついているのは、余暇が充実していないせいで生まれた空白を埋めるためであることが多い。
うう、耳が痛い。。
リタイアしてからの私の課題の一つに、「いかにスマートフォンから離れるか」というものがあります。
仕事をしていた時は見ないで済んでいたものが「見れてしまう」というのは、弊害がとても大きいです。
株価が見れてしまうというのも投資スタイル的にはマズいですし、通知を度々チェックしたり、知らず知らずのうちに「何かいい情報はないか」と探し回ってしまうのもマズいです。
SNSが止まらない。。
そこにはスロットマシンのレバーを引くのと同じように、予想不能なパターンで報酬を与える仕組みがあると言います。
ランダムな正のフィードバックの罠の威力はとてつもなく大きいのです。
(なお、ザラ場の株価についても同じことが言えると思います。)
そして、オンラインとオフラインにはゼロ・サム的な関係があるとも指摘しています。
ソーシャルメディアを利用すると、それよりもはるかに価値の高いリアルな世界での社交の時間が減ってしまうのです。
「人の注意の埋蔵量は、旧来のツールでは採掘しきれなかったほど大きいことが判明した」とも。
恐ろしいことです。。
ではその収益構造上、ユーザーの時間をできるかぎり吸い取ろうとする注意経済(アテンション・エコノミー)から逃れるにはどうしたらいいか。
筆者は、「常時オンの光り輝くデジタル世界の外に、これは大事だと思えること、楽しいと思えることを再発見しなくてはならない」としています。
対策として、
- スマートフォンを置いて外に出よう
- 長い散歩に出よう
- ”いいね”をしない
- テキストメッセージはまとめて処理しよう
- 受け身の消費よりも体を動かす活動を優先しよう
- スキルを活かし、物質的な世界で価値あるものを作り出そう
- 質の低い余暇活動(ネットサーフィン、ソーシャルメディアのチェック、配信動画の視聴…)をスケジューリングしよう
- (スマートフォンから)SNSアプリを全部消そう
等々が挙げられています。
なかなか過激なものもありますが、部分的には取り入れたいものも多いですね。
自分でツールを選択し、「自分の人生を取り戻さないと」という気に強くさせられます。
「人はつねに接続し続けるようには作られていないのだ」
この一文はとても刺さりました。
幸福に生きるためには孤独が必要であるにも関わらず、そのことに気付かないまま、デジタル・ライフによってその要素を着々と減らしてきたという事実があります。
今求められているのは、孤独と接続を行き来できるようにする仕組みです。
私はネット上の人格があり、接続を遮断するというのはなかなか難しいものがありますが、魂を乗っ取られないために、スマートフォンとの上手な付き合い方はよくよく考えていきたいものです。
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