「またかよ」
特に投資関係でそう感じることが多いのですが、最近は「これ、生成AIに書かせてんじゃね!?」と思うような記事に出会うことが格段に増えています。
情報は正確そうで、文章や構成も整っており、見た目には何の問題もない。
けれど、絶望的に読み進める気が起こらない。
そんなことってありませんか?
キレイなのに、なぜ読みにくいか ー 私なりに思うところが2つあります。
1.型にはまり過ぎている文章構成
生成AIは、膨大なデータをもとに「正確らしい」文章を組み立てるのが得意です。
例えば、導入→問題提起→解決策→まとめ、といったテンプレートに沿った形で、きれいに整った構成を作り上げていきます。
しかし、これが逆に「読みにくさ」の原因になっているのかもしれません。
あまりに整いすぎていると、読み手としては「次に何が来るか」が予測できてしまい、驚きや発見が薄れてしまうのです。
人の書く文章には、ときに脱線があったり、感情の揺れがあったり、リズムの緩急があったりします。
それがAIには出せないその人ならではの「味」となって、読み手の心を引きつけるのだと思います。
2.「余白」が感じられない文章
もう一つの理由は、「余白の無さ」です。
「余白」に関して最近ビビッと来たのが、Xでたまたま見た以下のポストです。
八代亜紀さんが 「歌に気持ちを込めすぎてはいけない」って言っていた理由が、深すぎる。
12/22付 銭ペンさんのポスト
歌い手が主観で感情を入れすぎると、 聴く側が感情を重ねる余白がなくなってしまうから、だそう。
銀座のクラブで歌っていた頃、 あえて感情を乗せずに歌ったら、 ホステスさんたちが突然泣き出したことがあって、 それが今につながる原体験になっているらしい。
やっぱり、天才は考え方の次元が違う
人が書く文章についても、同じことが言えるのではないでしょうか。
あえて語らない部分や、読み手に委ねる「間」みたいなものが大事だと思うのです。
たとえば、出来事を淡々と描写しつつ、読み手にはその裏にある感情や背景を想像する余地を残しておくことで、豊かな読書体験につなげることができる、みたいな。
一方、生成AIの書く文章には、すべてを説明しようとする傾向が感じられます。
行間を読む楽しみがなく、読み手が自分なりに何かを感じ取る余地が少なくなってしまう…
結果として、情報は得られたとしても、心に残るようなものは得られないといったことが往々にしてあります。
情報以上の「何か」を求めて
生成AIで作られた文章は、よくまとまっており、調べものをするときや概要を知りたいときには大変役立ちます。
投資関係の目的としては、それで十分なのかもしれません。
ただ私たちが惹かれる文章は、無味無臭な情報だけでなく、その人ならではの視点や、言葉の揺らぎ、そして「余白」が残されているものなのだと思います。
たとえ企業分析のような記事であっても、私はそんな「人間らしさ」のある文章を書きたいと考えています。
いかがでしたか?お気付きかもしれませんが、今回の記事の骨組みの部分はAIにお願いしております(完)↑ ポチっと & ↓ Xでのシェア をお願いします。
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