「FIRE」はイヤ。

リタイア生活

「FIRE…なんて甘美な響き…」

現役世代の少なからぬ方が、こんな感情をお持ちなのだろうと想像します。


しかし、以前も書いたり言ったりしたことがあるかと思いますが、「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という言葉が私はどうも好きになれません。

むしろ「イヤ」に近い感覚です。

今日はなぜそうなのかを、自分なりに掘り下げてみます。

FIREはスタート?ゴール?

経済的自由を手に入れ、早期リタイアして好きなことだけをして生きる ──
それは一見、夢のようなライフスタイルのように思えますが、実際にはどこか「居心地の悪さ」を感じている自分がいます。

それは、「FI」「RE」が「スタート」ではなく「ゴール」として語られることがとても多く、「そこにたどり着いた後に何をするのか」が「事前に」語られることがあまりにも少ないことと無関係ではない気がします。



私自身、自分が最終的に仕事の中で居心地のいい場所を見つけられなかったため、いわば次善の策として早期リタイアを選択した経緯があり、明確な目標を持ち入念な準備をした上でスタートを切ったわけではありません。

まあ、「You’re fired!」(お前はクビだ!)よりはマシなのですけども…


── 「目的」ではなく、何かを成し遂げるための「手段」としてのFIRE ──


実際にFIREをされた方で、事前にこのことを意識されていた方は、どちらかと言えば少数派なのではないでしょうか?

やはり私も含め、大半のケースは仕事からの「逃げ」の要素が大きいのではないかと思います。

仕事と趣味の違い

ここでふと思い立ち、仕事と趣味(FIRE後の人生の中心にあるもの)の違いについて整理してみたくなりました。

以下はAIで得られた回答です。

活動の目的と対価
  • 仕事:社会的な役割を担い、他者の要望や必要性に応えることが主な目的です。それに対して報酬(お金)が支払われます。
  • 趣味:自分自身の楽しみや満足感を追求することが目的であり、基本的に金銭的な対価は発生しません。場合によっては、自らお金を支払うこともあります。
責任と義務
  • 仕事:顧客や会社からの期待に応える責任が伴い、自分の意思とは関係なく「やらなければならない」状況が生じることがあります。
  • 趣味:個人的な活動なので、社会的な責任や政治的な正しさから解放され、好き勝手に行動できます。始めるのもやめるのも自由で、強制されることはありません。
成果と評価
  • 仕事:他者からの評価や成果が求められ、客観的な基準で評価されることが一般的です。
  • 趣味:評価は自分自身や、その趣味を共有する人々の間で異なり、他者からの評価を気にせず楽しめるものです。


まとめると、趣味は「自己完結的」なものであるのに対し、仕事は責任を伴った「他者への貢献」が欠かせないものであると言えるでしょう。

ここに私の「居心地の悪さ」のヒントがありそうです。

「貢献」

FIREを達成した方の典型的な悩みとしてしばしば目にするのが、「自分は誰かの役に立っているのだろうか」というものです。


人間は「意味」をエネルギーにする生き物です。

他者に貢献できていて、誰かの役に立っているという実感があればこそ、仕事はただの作業ではなく、「意味」のある営みとなります。

FIRE後の人生がもっぱら自己完結的である趣味に没頭することに費やされるなら、早晩「意味」に苦しむことになるのは無理もありません。


私がFIREという言葉を好きになれないのはおそらく、これを見聞きする時、あなたは他者に貢献できているのか」ということを問われている気がしていて、それに対する明確な答えをまだ持てていないという現実に直面せざるを得ないからなのでしょう。

それが見えてきた時、私にとってのFIREはようやく「スタート」するのだと思います。

「道楽の職業化」ができると、この問題は解決しそうです。
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コメント

  1. 伏見の光 より:

    >他者に貢献できていて、誰かの役に立っているという実感
    これはそんなにないですが、「居心地の悪さ」を感じることはほとんどないです。

    なんでかな。

    逆に言うと常勤での仕事という形ではないけれど、少しは誰かの役に立っているということが時々あるからかもしれません。

    例えば、最近は知人の空き家片付けを手伝っていますが、作業をすると様々な「不要物」が出てきます。
    例えば食器関係などは使用価値は十分にあり新品のものもあるのに使われない。
    ブランド物などはオークションで売れたりしますが、普通の食器は重さもあって送料もかかるので安価でも売れません。

    これをどうするかというと、障がいのある方が働く作業所へ持っていく。と、集めた食器はつながりのある企業や団体が海外向けのリユースとしてそんなに高い価格ではないけれど買い取ってくれて、それが作業所の運営資金の足しになります。これ、物がその物そのものの価値を維持して活用されるというのもちょっと嬉しいです。

    アパートの部屋、フリースペースとしてあけている一部屋は、知人の家族が能登の地震で被災されたので、しばらくシェルター的な住居として使ってもらったりしました。

    最終的には、その時の様々な状況で実際どうするかはわかりませんが、資産の一部を遺贈するようなことも考え実行するかもしれません。

    • 6_suke より:

      ありがとうございます。

      社会とのつながりの持ち方、役立ち方にも、いろいろな形があるのだと気付かされました。

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