方丈記と言えば、冒頭の一節があまりにも有名ですよね。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
すべては移り変わっていくという世の中(人と住まい)に対する無常観と、草庵での簡素な隠遁生活を淡々とつづった随筆です。
長明は、子供の頃は広い邸宅に住んでいたのですが、巡りあわせの悪さもあって落ちぶれていき、年齢を重ねるにつれて住まいも次第に小さなものへとなっていきます。
行きついた「方丈庵」は当初の100分の1の広さとのことです(「丈」は約3m、「方丈」は約9㎡)。
世俗から離れ、花鳥風月を愛でながら草庵で気ままに暮らす生活には、十分満足している様子がうかがえます。
ただ、仏道修行を重ねるつもりでいながら、楽器や和歌などからは離れることができません。
閑居生活の中にもどこか葛藤があり、黙っていられるほど達観していたわけでも全くなく、現世に思い残すことがあるからこそ、こうして筆を取らせたのでしょう。
そんな人間味のあるところが、ブログを書かずにはいられないFIRE民に通ずるところがあると、時代を超えて親近感を抱きながら読みました。
「寄居(かむな)は小さき貝を好む」と、いつでも解体して移築できる草庵に住む自分を、やどかりに例える箇所もあります。
転勤族としてあちこちに振り回され、結果的にリタイアすることになった自分には、妙に味わい深い書でした。
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コメント
実は私も「方丈記」は【最愛読書】なのですが、ろくすけ氏も好きとは・・・「我が意を得たり」の思いです。
「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
親戚の法事の出席者、我が家の前を朝、通学する生徒達も、どんどん入れ替わっています。
当然、自分もそのうち消え去る運命です。
思えば「株の達人」を志ざして早や50年以上になるのですが、いたづらに時だけが過ぎ去った感があります。失敗ばかりが頭をよぎる株人生。とはいえ、女房に「これ以上お金を増やさないで・・」と言われ、釘を刺されているので、それなりの財は(現時点では)あるのですが、ご承知のように、株券なんて空に浮かぶ雲のように、ふと気が付くと、雲散霧消していても何の不思議もない「しろもの」なので、いつ生活保護家庭に落ちても「絶望感」が無いように、我が家の生活は質素倹約を旨としています。
ポルシェやランボルギー二を車庫に並べて何が楽しいのか私には理解不能。
「24時間働けますか」・・・が嘲笑される今日この頃ですが、資源の無いこの国で、何を「糧」に生き延びよう・・というのでしょうか。
※追 記
福沢桃介(諭吉の娘婿。日本の鉄道王)の逸話➡(病気でベットに寝たきり→このままでは働くことは不可能→そうだ自分が働けないならお金に働いてもらおう。→株だ。)・・・・に、高校生の頃に出会ったのですが、当時は株をやっているという人は「ばくち打ち」と同列に見なされたものです。今では隔世の感があります。世の移り変わりは目まぐるしいものだ…としみじみ思うのです。(方丈記)
大学を出て株の裏側を見たくて株屋(大手の証券会社)に入ったのですが、投資家ばかりか社員までが「ばくち打ち」だったのにはビックリでした。推奨株の成り立ち・・・など勉強になりましたが、なにしろ「客に首を吊らせて一人前」の世界。長く務めるのは難しいものです。これは今日でもあまり変化が無いように見受けられます。今でも、本社の地下にバーがあって、きれいなママさんがいるのかなー。
読み応えのあるコメントをありがとうございます。
「株券なんて空に浮かぶ雲のように…」、本当にそうですね。
資産運用の規模も栖同様、いずれ小さくしていくことも考えなければなりません。
そして奥様も素晴らしい方だなと思いました。