次善の策としてのFIRE(1)

リタイア生活

アーリーリタイアをした(してしまった)私ですが、世のFIREムーブメントに関しては、微妙な感情を抱いております。


確かに自由な時間は増えましたが、別に他人に勧めるほど素晴らしいものでもない。

かと言って、後悔しているわけでもない。


私の場合、入念な準備をし、強い信念を持ってこの生活に入ったわけではないので、この種の話題に関しては、少し距離を置き気味であったというのが正直なところです。

その辺りについて、私の考えを記しておこうと思います。

「元祖FIRE本」が語ること。

最近、『人生の短さについて』という、古代ローマ帝国を生きた思想家・セネカが記した一篇を読みました。

これは多忙な食糧配給長官の職に就いていたとされる、パウリヌス宛の手紙という体裁で書かれたものです。

人生をみずから短くしている人びとの生態(「だれかに評価されることばかりに血道を上げては疲れ果てる者」というのも、この中に含まれています。インフルエンサー志望者必見かも?)を描き出し痛烈に批判しながら、時間の大切さをこんこんと訴える内容となっております。

そして、自分自身と向き合おうとしないで、年老いてからまっとうな生き方をしようとしても手遅れであり、絶対的な自由を手に入れるために、引退を勧めています。


有名な一節があります。

人生は短くなどありません。

与えられた時間の大半を、

私たちが無駄遣いしているにすぎないのです。


人生は上手に使いさえすれば偉業を成し遂げられるほど、十分に長い。

人は短い人生を与えられるのではなく、むしろ自分で短くしている。

足りないのではなく、浪費している。


実に身につまされる思いがします。

自分のお金を進んで分け与えようという者はどこにもいませんが、人生のほうは他人に、それも大勢にくれてやっている者ばかりです!

財布の紐はしっかり握っていても、倹約が尊ばれるべき時間のほうは、せっせと無駄遣いに励んでいる始末です。


どうでしょうか。

現代の書店に並んでいるFIRE本に書かれていたとしても、全く違和感のない文章だと思いませんか?

人間というのは、2000年という時を経たとしても、驚くほど変わっていないということがよく分かりますよね。

(続く)

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次は、それでも「FIREはどうなんでしょう?」と考える理由について述べたいと思います。
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