今日は、投資における「感謝」について考えてみます。
人生とはじつにおもしろいもので、いったん感謝しているものに意識を向け始めると、自分が持っていないものはどうでもよくなってくる。
ジャーマニー・ケント
投資は今日、生きていくためには避けて通れないものになりつつありますが、注意しなければいけないのは、「より多く」が行き過ぎると強欲につながりかねないということです。
結果、「持っていないもの」に意識が向くようになり、目を付けていた企業を買い逃したことを引きずったり、SNSなどでたえず他人と比較して落ち込んだりして、自分を心の豊かさから遠ざけてしまいます。
そうならないために、今、投資を続けていられることのありがたさを忘れないようにし、自分を支えてくれている投資先への感謝の心も常に持っておきたいものです。
いつも投資先に関して、不平不満ばかり言ってはいないでしょうか?
うまくいけば自分の手柄、うまくいかなければ投資先のせい、みたいな物言いはしていないでしょうか?
そうではなく、「持っていないもの」から「持っているもの」へと意識を切り替えていきたいものです。
そうすれば自ずと投資先に対して感謝の心が育まれ、穏やかで満ち足りた気持ちに包まれながら投資を続けることができるようになっていきます。
そんな穏やかな心持ちの方が少しずつでも増えていけばいいなと思っています。



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コメント
>いつも投資先に関して、不平不満ばかり言ってはいないでしょうか?
言いますね(^_^;。キーエンス分割せいっ!。不平不満というよりエンターティンメントですが。
>うまくいけば自分の手柄、うまくいかなければ投資先のせい、みたいな物言いはしていないでしょうか?
逆ですね。うまくいった時はたまたま、うまくいかなければ、なにか自分に原因があるかなと考える。
昔は人が儲かった話が本気でうらやましかったりしたことがありますが、ここのところはそういうのはないです。
ないというか、うらやましくはあるのですが、それは自分ではできない、そもそもやろうともしないことである場合が多くて、直接自分自身には関係がないことです。
それは、いわば「宝くじで高額当選っていいなー」と同じようなものです。
伏見の光さん、さすが達観されていますね。
ろくすけ先生の言葉に、心が静かに整えられるような感覚を覚えました。
「持っていないもの」ではなく、「持っているもの」に目を向けるという姿勢は、まるで「足るを知る心」のようで、
ベトナムでもその心に通ずるものがあります。
この考え方は、日々の投資だけでなく、生き方そのものにも大切な視点だと感じました。
感謝の気持ちを持つことで、自分の心が穏やかになり、他者や世界にも自然と優しい気持ちを向けられるようになっていく・・・深く思い返すと、そんな実感があります。
このような大切な気づきを与えてくださり、いつもありがとうございます。
私の身近な人たちにもこの考え方が少しでも伝わるように、日々の行動で示していきたいと思いました。
WASABIさん、ありがとうございます。
感謝の心を忘れず、投資していることそのものを楽しめるような境地を目指したいと思っています。