「S&P500」とどう向き合うか
ここまで見てきた通り、その時々の「旬」の銘柄を確実に取り込める「S&P500」は、効率的に資産形成を図っていく上で、とても良くできた仕組みであると言えます。
ただ、「安く買って高く売る」ための価値判断はそこにはなく、「価格が高いものはいいもの(のはず)だ」という割り切りの下で成り立っています。
それは、人気店の行列に並ぶようなものです。
その結果、2000年にはそのうち50%近くをハイテク株で、2008年には40%近くを金融株で保有するような、危機を目前にした過度の集中も起こってしまう仕組みであることは忘れてはなりません。
一方の私は、「価値」に対する「値付け」を自分の価値観に沿って行いたいし、投資に自分の想いを込めたいという、とても面倒くさい人間です。
理想を言えば、まだ光が十分あたっていない価値ある企業を「安く買い」、誰もが素晴らしいと価値を認めるような存在になったところで、バトンを次の人に渡すように自然な形で「高く売る」ことができたらいいなと思っています。
頑張っている個としての企業をよく知れば知るほど、その気持ちは強まっていきました。
こうしたこともあって、良くも悪くも価値判断を伴わないインデックスファンドへの投資には、どうしても抵抗感がぬぐえなくなってきたのです。
投資を、生きるための「手段」として割り切るのか、そこにそれ以外の何らかの「意味」を見出すのか。
「S&P500」は、それぞれの人生における投資の位置付けを問うてくる存在のような気がしてなりません。
(終わり)



↑ ポチっと & ↓ Xでのシェア をお願いします。
Tweet
コメント
そういえば自分自身の場合、株の探し方と飲食店の探し方は似ているところがあります。
人気店には行きたいけど、行列に長時間並ぶのは嫌いです。
行くなら、開店前から並び、それもすいている平日を狙います。
これは勢いよく株価が上昇しているような人気銘柄はその時点では買う気がおきないのと似てます。
また自分でちょっと調べてお気に入りの店を広げていくのがわりと好きです。
これはIRセミナーとかにいって銘柄を発掘するのとちょっと似てます。
インデックスファンドは、本当にやりたいことは自分の事業とか趣味で、だけど相応のリスクはとって合理的な資産運用はしたいという人にとってはいい商品なのでしょう。
>それ以外の何らかの「意味」
個人的には明らかにエンターティンメントとしての意味が投資にはあるので、個別銘柄についてあれこれ考えつつ売買していくということになってますね。
タイミングやお店の選び方も、個人差が出るところでしょうね。